「国の借金は1300兆円を超えました」。
このニュース、もう何度聞いたか分からない。聞くたびに、なんとなく胃のあたりがずんと重くなる。でも正直に言えば、その1300兆円が「いつ」「なぜ」「どうやって」できた借金なのか、ちゃんと説明できる人は、そう多くない。わたしはできない。
国債。政府が発行する借用証書。これがどうも、当たり前の顔をして世の中に居座っている。政府が借金をするのは自然なこと、みたいな空気がある。
でも、そもそも、なぜ政府がお金を借りられるのだろう?
会社なら分かる。工場を建てて、モノを作って、売って、儲けて、返す。お金を借りてそれ以上の価値を生み出すから、借りる意味がある。でも政府は、基本的に富を生まない。税金を取って、それを配る。右から左へ流すのが仕事だ。富を生まない主体が、なぜ何百兆円も借りられるのか。しかも、誰も本気で「返せ」と言わないのか。
狐につままれたような気分になるが、国債という仕組みは、最初からこんな姿だったわけじゃない。もともとは、まったく別の、もっと健全なものだった。それがどこで、どうねじ曲がったのか。ゆっくり辿っていこう。
はじまりは、香辛料の匂いがした
話は1602年、オランダから始まる。
当時のヨーロッパは、香辛料に狂っていた。コショウ、ナツメグ、クローブ。今のわたしたちには「まあ、あれば便利」くらいのものだけど、当時これは黄金と同じだった。肉の保存に欠かせず、なにより東洋の遠い島でしか採れない。アジアまで船を出して香辛料を持ち帰れば、文字どおり富が築けた。
でも、問題があった。アジアまでの航海は、めちゃくちゃ危険なのだ。嵐で沈む。海賊に襲われる。病気で船員が全滅する。無事に帰れる保証なんてどこにもない。一回の航海に、家一軒どころか町一つ分の金がかかる。そんな博打に、一人の商人が全財産を賭けられるだろうか。無理だ。一回沈んだら人生終わりである。
そこで、人類は賢い発明をした。「みんなで少しずつお金を出し合おう」というアイデアだ。
こうして生まれたのが、オランダ東インド会社(VOC)。世界初の本格的な株式会社であり、世界初の証券取引所を生んだ会社でもある。大勢の市民が、少しずつお金を出す。船が無事に帰って香辛料を売れば、出した割合に応じて儲けを分ける。船が沈んでも、失うのは出した分だけ。リスクを、大勢で薄く分け合う。
これは健全な仕組みだ。富を生む事業があって、そこにみんなが賭ける。うまくいけば全員が豊かになる。この「賭け」を証券という紙切れにしたものが、株式であり、債券だった。
ここが出発点だということを、覚えておいてほしい。債券とは本来、「富を生む何かに、お金を出すための道具」だったのだ。香辛料の匂いのする、わくわくする紙切れだった。
株式と債券、双子のような別もの
ここで少しだけ、株式と債券の違いを整理しておこう。難しくないから、お茶でも飲みながら聞いてほしい。
オランダ東インド会社にお金を出す方法は、大きく二つあった。
一つは株式。「儲かったら分け前をくれ。その代わり、沈んだら諦める」という賭け方だ。ハイリスク・ハイリターン。船が大成功すれば大儲け、失敗すればゼロ。
もう一つが債券。「決まった利息をつけて、後で返してくれればいい。大儲けはいらない」という貸し方だ。こっちは、事業がそこそこ回っているかぎり、約束どおり利息がもらえる。株式ほど夢はないが、そのぶん堅い。
つまり債券とは、「お金を貸して、利息をつけて返してもらう約束」を紙にしたもの。貸し借りを、他人に売れる形にした発明だ。あなたがオランダ東インド会社に貸したお金の証書を、途中で誰か別の人に売ることもできる。この「売れる借用証書」というアイデアが、のちに世界を動かすことになる。
さて、ここまでは全部、民間の話だ。富を生む事業(航海)があって、そこにお金が集まる。とても自然な流れ。
問題は、この「売れる借用証書」の便利さに、ある巨大な存在が目をつけたことだった。国家である。
1694年、借金する政府が「制度」になった日
時は少し下って1694年、舞台はイギリスに移る。
当時のイングランドは、フランスとの戦争で金がなかった。戦争というのは、とにかく金を食う。兵士に給料を払い、船を造り、大砲を並べる。でも国庫は空っぽ。王様は困り果てていた。
昔の王様なら、こういうときどうしたか。臣民から無理やり税を搾り取るか、金貸しから高利で借りて踏み倒すか、そんな乱暴なことをしていた。だから誰も王には安心して金を貸さない。「どうせ返さないだろう」と思われていたのだ。
そこで登場したのが、画期的な、そして、いま思えば少し恐ろしい、、アイデアだった。イングランド銀行の設立である。
仕組みはこうだ。民間の商人たちがお金を出し合って銀行を作る。その銀行が、政府にまとめて金を貸す。その見返りに、政府は「必ず利息をつけて返します」と約束し、しかもその約束を国家の税収で裏打ちする。個人の王様の気まぐれではなく、国という永続する仕組みが保証人になる。
これで何が変わったか。政府への貸し付けが、いきなり「安全な投資」になったのだ。国はつぶれない(ということになっている)。税金は毎年入ってくる。だから政府にお金を貸せば、堅実に利息がもらえる。人々はこぞって国にお金を貸すようになった。
ここが、大きな分かれ道だった。
オランダ東インド会社の債券は、香辛料という富を生む事業への出資だった。ところがイングランド銀行がやったのは、戦争という、何も生まないどころか破壊しかしない行為への融資だ。大砲を撃っても、香辛料は手に入らない。焼け野原が残るだけだ。それでも人々は喜んで金を貸した。なぜなら「国が税金で返してくれる」から。
つまりこの瞬間、債券の意味がこっそりすり替わった。
「富を生む事業に賭ける道具」から、「国家の徴税権を担保に、政府がお金を借りる道具」へ。
返済の原資は、もう事業の儲けではない。あなたや、あなたの子どもが、将来払う税金だ。政府は富を生まない。でも、国民から税を取る権利がある。その「将来の徴税権」を担保に、政府はいくらでも借りられるようになった。これが、近代国債の正体である。
面白い(と言っていいのか)ことに、この仕組みでイギリスは強くなった。潤沢な借金で戦争に勝ち続け、やがて世界に冠たる大英帝国を築く。借金を制度化した国が、借金できない国を打ち負かしたのだ。以来、世界中の国がこの仕組みを真似した。借金しない政府は、もうない。
誰も「返せ」と言わない借金
さて、ここで最初の疑問に戻ろう。政府は富を生まないのに、なぜ何百兆円も借りられて、しかも誰も本気で「返せ」と言わないのか。
種明かしをすると、政府は借金を「返す」つもりが、そもそもない。正確に言えば、返さずに「借り換え」続けるのだ。
たとえば10年満期の国債があるとする。10年後、その借金を返す日が来る。ふつうの人なら貯金を崩して返す。でも政府はどうするか。返す日に、新しい国債を発行して、そのお金で古い借金を返す。借金で借金を返している。これを延々とくり返す。
これができるのは、国が(理屈のうえでは)永遠に存在し、永遠に税金を取り続けるからだ。個人には命に限りがあるから、いつか借金を清算しなきゃいけない。でも国は死なない。だから「いつか返す」を無限に先送りできる。この、借り換えという名の永久機関。これこそが国債という発明のキモであり、そして危うさの源でもある。
もちろん、限界はある。「この国、もう税金で返せないんじゃないの?」と貸し手が疑い始めた瞬間、誰も新しい国債を買わなくなる。借り換えが止まる。そうなると、金利が跳ね上がるか、通貨が暴落するか、最後は中央銀行がお金を刷って買い支えるしかなくなる。ギリシャで起きたこと、そして歴史上いくどもくり返されてきたことだ。
ここで、鋭い人は気づくはずだ。「国が発行した国債を、その国の中央銀行が刷ったお金で買う」って、それはもう、左のポケットから右のポケットにお金を移しているだけじゃないか、と。まさにそのとおり。そして日本は、世界でいちばんそれをやっている国なのだ。
そして、日本の1300兆円
やっとこさ現代の話にたどり着く。
日本の政府債務は、1300兆円を超える。GDPの2倍以上。先進国でぶっちぎりの世界最悪水準だ。この数字だけ見ると、「日本、もう終わりでは?」と青ざめる。でも不思議なことに、日本はまだ財政破綻していないし、金利も(不自然なほど)低いままだ。なぜか。
からくりの中心にいるのが、日本銀行である。日銀は、発行された国債のおよそ半分を買い込んでいる。政府が国債を出す、日銀がお金を刷って買う。さっき言った「左のポケットから右のポケットへ」を、国家規模でやっているわけだ。
これのおかげで、国債は必ず買い手がつき、金利は低く抑えられる。表面上は、すべてがうまく回っているように見える。でも、タダのランチなんてこの世にない。そのツケは、必ずどこかで、誰かが払っている。
払っているのは、わたしたちだ。しかも、とても静かな形で。
日銀が国債を買い支えるためにお金を刷り続けると、お金の価値が薄まる。円安になり、物価が上がる。一方で金利は低く抑えられているから、銀行に預けたあなたの預金は、ほとんど利息を生まない。つまり、物価は上がるのに預金は増えない。あなたのお金の実質的な価値が、じわじわと目減りしていく。この、痛みを感じにくい形で国民の資産が削られていく現象を、金融抑圧と呼ぶ。政府の膨大な借金は、こうやって、静かに国民の預金から回収されているのだ。
400年前、香辛料の匂いがした健全な仕組みは、ここまで来た。富を生む航海への賭けが、富を生まない政府の永久債務になり、その返済のツケを、いま、あなたの財布が知らないうちに払わされている。
「国が返してくれる」を、疑ってみる
ここまで読んで、こう思った人もいるかもしれない。「でも、それで世の中回ってるんだから、いいんじゃない?」
その感覚は、まっとうだ。実際、この仕組みは300年以上回ってきた。明日いきなり崩れるわけでもない。ただ、一つだけ、
国債という仕組みは、突きつめると「国は永遠につぶれず、国民は永遠に税を払い続ける」という、途方もない前提のうえに乗っかっている。この前提を、わたしたちは疑わないよう、しつけられてきた。「国の借金は国民の資産(の裏返し)だから大丈夫」「日本は自国通貨建てだから破綻しない」——そういう安心の呪文を、何度も聞かされる。
でも、お上が「大丈夫」と言うから大丈夫、というのは、思考停止のいちばん甘い形だ。歴史を見れば、「絶対つぶれない」と言われた通貨や国家の債務は、何度も紙くずになってきた。戦後日本だって、一度それをやっている(預金封鎖と新円切替を調べてみてほしい)。
むすび:借用証書の顔をよく見る
わたしたちは、国債を「難しい経済の話」として、遠ざけがちだ。1300兆円と言われても、大きすぎて実感がわかない。だからニュースを聞き流し、胃のあたりを重くするだけで、また日常に戻る。
でも、その借用証書の宛名には、小さな字で、こう書いてある。「返済者:あなた、あるいはあなたの子ども」と。
400年前、債券は富を生む航海への夢だった。それが、いつのまにか、富を生まない政府が未来の税金を担保に切る手形になった。そして、その手形の最終的な引受人は、いつだって、名もない一人ひとりの生活者だ。円安という形で、物価高という形で、増えない預金という形で、わたしたちは静かにそれを払っている。
別に、明日から国債を憎め、と言いたいわけじゃない。ただ、「国の借金」というニュースを聞いたとき、これまでとほんの少しだけ違う顔で、それを眺めてほしいのだ。これは遠い誰かの話ではなく、あなたの財布の話なのだ、と。
お金とは何か。誰が、何を担保に、それを生み出しているのか。この問いを手放さないでいること。それが、静かに財布から抜かれ続けないための、ささやかな、でも確かな一歩だと思う。
おまけ:そして、ここに一人の変わり者が現れる。
「国が保証するお金なんて、しょせん国の都合で刷られ、薄められる。だったら、誰も刷れない、誰も薄められないお金を作ればいいじゃないか」。そう考えた匿名の人物が、2009年に生み出したのがビットコインだ。発行量が最初から決まっていて、どんな政府も中央銀行も増やせない。国家の徴税権を担保にしない、初めての「お金」。
ビットコインが正しいかどうかは、ここでは問わない。値動きは激しいし、危うさもある。でも、その登場の背景には、この記事でたどってきた400年の物語がある。「国が保証するお金って、本当に信用していいの?」という、静かな、でも根本的な問いだ。オランダ東インド会社の香辛料から始まった旅は、ぐるりと回って、「そもそもお金の後ろにいる保証人を、取り替えられないか」という地点にたどり着いた。