帰国中、姪が言った。
「それってコスパ悪くなぁい?」
何がコスパ悪かったのかは覚えていない。アイスだったか、靴だったか、遠回りして駅へ行くことだったか。肝心なところは忘れたのに、「コスパ悪くなぁい?」という語尾だけが耳に残った。
「悪くない?」ではない。
「悪くなぁい?」
この小さい「ぁ」に、現代が詰まっているような気がした。
コスパとは、コスト・パフォーマンスである。払ったお金に対して、どのくらいの成果が得られたか。千円払って腹いっぱいになればコスパ良し。三千円払って小皿に豆が三粒ならコスパ悪し。
これはわかりやすい。
しかし最近は、お金だけでなく、時間にもパフォーマンスを求めるらしい。「タイパ」である。
映画は倍速で見る。レビューは星の数だけ見る。長い文章は要約で済ませる。すると二時間の映画を一時間で見た場合、余った一時間はどうするのだろう。
別の映画を倍速で見るのだろうか?
そうすると二時間で映画を二本見られる。実に効率がいい。だが、その二本を見ている本人は、ずっと急いでいる。何をそんなに急いでいるのか?
考えてみれば、コスパというのは、先にゴールが決まっているときには便利な物差しだ。
安く腹いっぱいになりたい。
早く駅に着きたい。
試験に受かりたい。
こういう場合は、なるべく短く、なるべく安く、なるべく失敗せずにゴールへ着くのがいい。 しかし問題は、人生にはゴールがよく見えないことである。しかもタチが悪いことに、
見えないどころか、途中でちょこちょこと変わる。
あっちへ行こうとしていたのに、気がつくとこっちにいる。こっちでいいと思っていたら、やっぱりあっちが気になる。そうこうしているうちに日が暮れるし、歳もとっていく。
私の人生などかなりコスパが悪い。回り道が多い、無駄足も多い、しかも瞑想センターへ行き、十日間ただ座っていたりする。
十日間である。
座るだけなら家でもできる。しかもタダである。
交通費を払い、時間を使い、わざわざ遠くまで出かけて座る。しかも座っているあいだ、金は一円も増えない。資格も取れない。腹筋も割れない。
コスパという観点から見れば、ほとんど惨事である。
だが人生を振り返ると、妙に覚えているのは、そういう惨事のほうなのだ。
旅先で滞在先がどこだか分からなくなったこと。
役に立たない本を読んだこと。
会わなくてもよかった人に会ったこと。
始めたものの、結局なんにもならなかったこと。
あのへんのガラクタ置き場みたいなところに、案外いいものが埋まっていた気がする。
もちろん、今となって美化しているだけかもしれない。 ただ、失敗は時間がたつと少し味がよくなる。
漬物と同じである。
若いころの無駄足も、三十年くらい漬けておくと、「あれは必要な回り道だった」などという味わいが出てくる。(本当はただ道に迷っただけだが。)
効率の悪そうなものを最初から選ばない人生は失敗が少ないだろう。
しかし、思いがけないものを拾う機会も少なくなる。
一直線の道には、落とし物があまりない。
寄り道した先には、ときどき変なものが落ちている。
役に立つかどうかはわからない。
たいてい役に立たない。
だが、あとで思い出すのは、そういうものだったりする。
などと、コスパについて長々と考え、さらにだらだらと書いてしまった。
この時間でレビューなら百本は読めた。
映画なら一本、倍速で見られた。
つまり、この文章を書くという行為そのものが、たいへんコスパが悪い。
しかし、コスパの悪さについて考えるには、これ以上コスパのいい方法もないのではなかろか??。